まるバツ

あなたは自分で自分自身にバツを付けていないだろうか?

 

自分自身で自分に許せない部分があって、バツを付けていると、

それがなんだか悪いもののような、酷くみっともないもののように感じて

それを善しとしない人にバツを付けられることが増える気がする。

 

自分で自覚していなくても、心のどこかで自分が自分をダメだと思っていると、

まるでそれを炙り出すように、自分に気づかせるかのように、

同じくそれをダメだと思っている人が近くに現れて、自分の代わりにバツを付けていく。容赦なく。

 

本当にダメだと思っているのは、誰でもなく自分自身なのに

誰かにバツを付けられてしまったことに酷く傷ついて、余計に自分はダメなやつだと思い込んでしまうのだ。

 

誰かの言葉に傷ついて、自分の殻に閉じこもりそうになったとき、

その心の奥に浮かび上がる心の声に耳を傾けてみてほしい。

 

あなたの心はなんて言ってる?

 

「なんであの人にそんなこと言われなくちゃいけないの?」

「だれかにそんな風に言われる筋合いなんてない!」

 

そんな心の叫びが聞こえてきたら、それは覚醒の合図。

 

自分にバツを付けているのは、誰でもないあなた自身なのだけど、

その一方で、自分はバツを付けられる人間じゃないって、心の奥底で自分が訴えてる。

そんな自分に気づいて、自分を認めてほしい。

 

自分の弱い部分もすべて受け入れて、それでいいんだと思えたときに、世界は少しずつ変わっていく。

 

もちろん考えを変えても、相変わらず自分にバツを付けてくる人はたくさんいる。だけど自分の心が変わったら、そういう人にいちいち傷つくこともなくなるのだ。不思議なことに。

自分はバツを付けられたのではなく、彼ら・彼女らの価値観、物差しからは外れていただけなんだと思えるようになる。

そして、そんな自分を良いと言ってくれる人が現れたり、そもそもその部分にわざわざスポットライトをあてることもなくなって、いつのまにかそれが「とるに足らないこと」になっているのだ。

取るに足らないことだから、そういう風に変化したことにも気づかないかもしれない。

 

自分自身に付けているバツを、マルに変えていこう。

素直に怒ること。

昨年から仕事でもプライベートでも

「なんでこんなに上手くいかないの」と嘆きたくなるくらい

落ち込むこと悲しいことの連続だった。

 

だれにも相談せずに一人で抱えこんだ結果、体調を崩したりして

このままじゃダメだと、友達に会う機会を増やして、

少しずつ近況を話す機会を増やしたら・・・

 

すごく不思議なのだけど、わたしの代わりに友達が、後輩が、

私の置かれている現状や、私が他の人にされた仕打ちについて、

わたし以上に、怒ってくれた。

 

私も怒りは感じていたし、失望したこともあったのだけど

相手にも相手の事情があるからなと考えだしてしまうと、なんだかちゃんと怒れない。

それどころか、怒ってしまったことすら申し訳なく思えてしまうこともある。

仕事も同じで、理不尽だと思うことを理不尽だと怒れないまま

そういう扱いをされることに諦めてしまう自分がいたり。

 

だけど、やっぱり辛くて悲しいから、

後になって「今こんなことが起きてて・・・」と友達に話をするのだけど

そのたびに「ひどい!」「許せない!」「どうしてもっと怒らないの?」と

私以上に周りがショックを受けて怒ってくれる。

 

そしてもっと怒っていいんだよ。と言ってくれる。

私のことで、私の代わりに、私以上に、怒ってくれる。

 

こんな風に怒ってくれる友達がいることがとても嬉しく、感謝でいっぱいなのだけど、

その一方で、すごく不思議な気持ちにもなる。

 

私も十分怒ってるつもりなのに、周りからしたら全然「足りない」らしい。

こんなときまで相手のことを考えなくていいんだよ、と言われ続けて

最近ようやく、そうなのかな?と思えるようになった。

 

私もっと自分のことで、自分のことだけ考えて怒っていいんだ。

もっと自分を大切にしていいんだなって。

 

(自分を美化するわけではないけれど、)

自分より相手の感情を大事にしてきたから、

上手く怒るに怒れなくて、それで体調を崩してきた。

だけどそんな自分をもっと大切にしなさいと、私の大切な人たちが言う。

 

周りが私の代わりに怒ってくれて、それだけで満足だけど、そうじゃない。

私はもっと自分を大切にして、素直に怒りを表現していかないといけないんだなって。

 

気づかせてくれてありがとう。

これからはもっと、上手に怒れるようになるといいな。

悲しみから立ち直る方法

先週、今週と激動の1週間だったので、

ふと思い立って、東北のとある地域に一人旅へ。

 

実は先週、とても悲しい出来事があり、

ひとりで家にいると、どうしてもその事ばかり考えてしまうので

少しでも気分転換できればなと、それはもう衝動的に、気が付けばバスを予約していました。

 

一人旅だったし、どうしても「考える」時間はできてしまうのだけど

環境が違うせいなのか、冷静にしっかりと自分に向き合うことができた気がする。

 

これが家だと、、、自分と向き合うというよりも、

どうしても後悔や自己嫌悪感などの負の感情の方が先にきてしまい、

負の無限ループから抜け出せなくなってしまう。

 

結局何をしていたって、どこに行ったって、考えないようにするのは難しいのだから

どうせなら自分を必要以上に責めたり悲観的になる場所ではなく、

冷静に自分としっかり向き合える場所を選べばいいんだなと。

 

負の感情のループに陥りそうなときは、強制的に非日常な空間に行くことで、

焦点を「自分」に定めることも大事なのかもしれない。

 

 

見つめなおすべきは「自分」であって、決して「過去」ではない。

一人家にこもって、過去から抜け出せなくなる前に気づけて良かった。

 

まだ悲しい気持ちはまだ残っているのだけれど、

自宅に戻ってきて、旅に出る前に比べて明らかに思考が前向きになっていることに気づいた。

 

自分と出来事を冷静に見つめ直すことができたら、

感謝して、感情を手放して、さようなら。

まだまだ完全に立ち直るまでには時間がかかるけれど、

いい選択・行動できた自分をまずは褒めて、今日はゆっくり休もう。

たとえ正解を選べなかったとしても、間違いじゃない。

あのとき、どうしていれば正解だったのだろうか?と、思う時がある。

 

本当はもっと上手くやれたんじゃないか?とか、

自分が不甲斐なかったからこんな結果になったんじゃないか?とか、

そんなことを繰り返し考えて。

 

自分を責めて、自己嫌悪に陥って・・・

 

考えても仕方ないことを、何度も。

 

生産性のない想像をして、自分を自虐する。

そして過去にとらわれそうになる。

 

それに気づいて、

そうやって自分を傷つけるのは、今この瞬間で最後にしよう。と決意。

 

たしかに、理想には程遠かったかもしれない。

でも、本当はもっと自分を褒めていいんじゃないか。

自分の選択を信じてみてもいいんじゃないか。そう思う。

 

きっと、間違いなんてない。

そのときの自分にできるベストを尽くしたのだから。

 

もっとうまくやれたかもしれないけれど、今の私にはそれがベスト。

上手くいかなかったことも、大切な経験。

その感情を味わうことも、その経験をすることも、私にとって大事なことなのだ。

だから、ちゃんと最後までやれた自分を、一区切りつけた自分をほめよう。

 

おつかれさま。

 

頑張ったね。

 

苦しかったね。

 

 

理想はまだまだ遠い。

だけど確実に前進していると信じて。

 

このブログについて

このブログのタイトルは、椎名林檎さんの曲「ありあまる富」にインスパイアされて付けました。

 

 

この曲は8年ほど前に、とある国に留学中、よく聴いていた曲の一つ。

自分自身=ありあまる富ということなのですが、

自分が言いたいことと少し似ていて、すごくお気に入りな曲です。

もちろんメロディーも好きなんですが。

 

ありあまる富

ありあまる富

 

 

人って。他人の良いところはすぐ見つかるのに、自分の良いところには気づけなかったりする。他人の活躍を羨んで、ときには妬んで、自分を見失うこともある。

だけど、自分の価値なんて、だれかと比べられるものではないし、誰かに奪われるものでもない。

 

これまで、仕事を通じて様々な人と出会ってきました。

すでに何か活躍されている方もいれば、まだまだこれからという方、やりたいことすら見つかっていないという方、いろいろな方がいました。

そんなたくさんの方々との出会いから、気づいたことがたくさんあり、またそれを誰かに伝えていきたいと思いました。

私は、このブログを通して、人が持っている可能性について語っていきたいなと思っています。

 

 どうぞよろしくお願いいたします!

「今」はあっという間に過去になるから。

「今」が、あっという間に通り過ぎて「過去」になっていく。

 

 

大切な人との別れ。

 

新しい環境への旅立ち。

 

この数日で、さまざまな出来事がありました。

 

この数日に限らず、ここ数年、私の世界はぐるんぐるんと目まぐるしいスピードで変化していて。

それがとても順調な時もあれば、すごく苦しい日々もたくさんあって。

もう自分もいい大人なので、それらを友達にもあえて話してこなかったけれど、

最近は特に停滞をしていて、一人でもがき苦しんでいました。

 

でも。停滞しているようで、実は動いているんですよね。今この瞬間も。

 

つらいこと、悲しいこと、たくさんたくさんあった。

どうしようもない淋しさや、やるせなさ。孤独。わかってもらえない。不安。怒り。

 

これまでもたくさん苦労をしてきたのに、どうしてまた、どうしてまだ、

こんな悲しみを味わないといけないの?

どうしてこんなに苦労しないといけないの?もういやだ!

そんなことを何度も考えた。

その一方で、新たなステージの幕開けが訪れる予感を、胸の奥で感じてる。

 

たぶんだけど、「今この瞬間」はあっという間に過去になる。

それは本当にびっくりするくらいのスピードで。

 

どんなに今が苦しくても。悲しくても。

たぶんあっという間に、今感じているこの感情も、懐かしく想う日がくるのでしょう。

 

だからこそ、今感じているこの感情をすべて感じ切って、次へ進む。明日へ進む。

それがいい。それでいい。そう思うのです。

 

なんでこんな酷い出来事ばかり起きるんだと思うこともあるけれど、

それでも今感じている感情を、たくさん味わいつくそう。思う存分。

もう感じたくない、もう考えたくない、そんな感情も。

自分の中にある醜いドロドロした感情も、人を想う温かい感情も。

 

今、幸せだと胸をはって言えなくても、

きっとそれはすぐに過去になる。

たくさん感じ切って、吸収して、そして私はまた一つ成長して

新しい自分になって、新しい世界を見つけるのだ。